Pigeon Dynamiteのストーリー

Pigeon Dynamiteのストーリー

Pigeon Dynamiteはジュエリーを販売するオンラインビジネスです。聞こえはシンプルかも知れませんー出来上がったジュエリーの写真を貼り付け、それをオンラインで売る。確かにそれはビジネスのごく一部ではあるけれど、私の仕事内容がそれに限られるという事では決してありません。私の作るジュエリーは海外の安価な労働を利用して作られたような大量生産されたものではなく、自分で石の一つ一つを選び、デザインし、手で作り上げています。そのデザインにたどり着くまでも、インスピレーションや、日々のモチベーションがとても大事です。そしてようやく出来上がった作品を撮影し、編集し、ソーシャルメディアの発信や、商品のパッケージング、発送、マーケティング、カスタマーとのコミュニケーション等も全て自分で行なっています。私のブランドが個人主ビジネスとして正式に登録されたのは、私の長男が生まれる1年と少し前になる2016年4月のニューヨークでした。ビジネスとして登録される前迄はアメリカのEコマースサイトで自分でカスタマイズしたジュエリーを販売していました。ビジネスとしてやっていこうと決意したのは、初めてオンラインで1週間の売り上げがその当時の仕事の1ヶ月分の給料を超えた時でした。経済的な報酬よりも、自分にしか作れないものが誰かに評価される事が単純に嬉しかったのを覚えています。そしてその喜びが私を邁進させていきました。それまでは自分でブランドを立ち上げよう等とは一切念頭に無かったものの、心のどこかでいずれはチャレンジしてみたかった事だったような気がします。私のバックグラウンドはインテリアデザインで、マンハッタンにあるオフィスやショールームでフリーランスとしていくつか仕事をしたりしました。どの仕事でも一生懸命取り組みましたが、それはあらゆる意味で私の想像していた通りの内容ばかりでした。つまり言われた事だけをするといった様な仕事。仕事とはそういうものだろう、とどこかでは理解していたれど、自分の為では無く上司や会社の為に働き、何事においても自分に決定権が無い状況に辟易するといった事がどの会社でも見事に短期間で起きました。それこそ初めはやり甲斐を感じていたし、安定した収入もあり、勤務時間だって残業も殆ど無く満足していたかも知れません。(これは業界ではかなり稀でラッキーな事だと後で知りましたが。)しかし同時にクリエイティブな事を求められる事も無く、自分の手で物を作りたいという欲求が高まっていったのでした。フリーランス業をしながらも、自分でコレクションしたヴィンテージジュエリーのパーツをカスタムしては自分用にジュエリーを作ったりしていました。そのうちに友人達がそれを気に入ってくれたので、ギフトにしたりして家族にもプレゼントする様になりました。彼らの反応からもすぐにこれは売れるんじゃ無いかと思ってオンラインで売ってみようと思い立ったのが発端です。
pigeon dynamite logo
ブランド名は割と早く見つかりました。Pigeonとは文字通り鳩という意味ですが、それは平和のシンボルでもあり、私にとってはニューヨークを象徴する動物でもあります。ニューヨーク同様に不潔で、美しく、たくさんの人から愛され、同時にその他大勢にも嫌われる。その両極端さが気に入って直感的に選びました。そしてその平和のシンボルと対なる意味でDynamiteを付けようと思いつきました。確かに適当な思いつきではありましたが、パンチのある響きとふたつ並べた時の流れが気に入って即決。間も無くして私のオンラインジュエリーは周りのサポートもあり、良好な滑り出しを切ったのです。そのうちに友人だけでなく、見ず知らずの他人からもオーダーが入る様に。中には初回から特別なカスタムジュエリーを依頼してくれる人も居ました。それは私にとって、この上なく特別な機会でした。そしてそれは今でも変わりありません。顧客と直接やりとりをし、デザイン画を描き、アイデアを提案し、特別な人に送る世界で一つだけの物を作り出すという今まで感じた事のなかった喜びが、ますます私を物作りの世界へと引き摺り込んでいきました。フィードバックや顧客の反応、時には厳しい意見こそ絶対に目を逸らさず耳を傾けました。そしてもっと自分のオリジナリティを表現出来るようになりたい、とジュエリーのクラスを受講しようと決めました。私が最初に学んだのが、古代からある最も古いジュエリーの技術であるロストワックス。カービングワックスと呼ばれるジュエリー製作用のワックスを掘り上げ、それを溶かして残ったモールドに溶けた金属を流し込み指輪やブレスレットなどが生成される手法です。これに彫金も組み合わせて私のジュエリーが作り上げられます。初めて彫金学校で作ったリング
まだまだジュエリー職人としてもビギナーである私は今日においてもあらゆる面で挑戦と挫折の毎日であります。そしてどの様なカテゴリーであれ、技術職においては練習と失敗を繰り返すのは必然だと私は思っています。多くの人がジュエリービジネスは煌びやかでグラマラスな職業だと思っていらっしゃるかもしれませんが、(それが全くもって間違っている訳ではないんですが、)製作面においては完全にかけ離れており、90%程は自分の手を汚して行う作業です。ジュエリー製作というのは研磨剤やなんかでとりあえず手が汚れるので、マニキュアをするのはオシャレだからでは無く、爪を保護するためと言った方が良いかも知れません。それでも私は全く気にならず、むしろどんどん製作の楽しさを覚え、この時点でヴィンテージのパーツを使ったジュエリー製作はやめてしまいました。ワックスカービングは私にジュエリー製作を通して表現の場を与えてくれる最も自由でクリエイティブな手法となっていたのです。
ジュエリーメイキングには手を汚す作業が不可欠
それまでの売上は私のクラスと新しい工具となって瞬く間に消えていきました。その当時の私は彫金学校講師の使っていたいくつもの工具がまさかそんな高額な物だったとは知らず、高価な工具は安いコピーの物を買い揃えるのがやっとでした。今思っても投資と思って少しでも良い工具を最初に買っておくべきだったと後悔しています。後々になって購入した高価な工具を使って初めてその大事さを学んだからです。苦労して時間をかけ、時には失敗をして無駄にしてしまった時間と材料も、工具一つで全てが一気に解決される事だってありました。出来る事の可能性だって広がり、効率も上がる。もしも本気でジュエリー業をビジネスにしようと思っているなら、工具だけはケチらない方が良いです。技術者として不足だらけの私は今日も学ぶ事だらけだが、それだけは言えます。そしてビジネス面と技術面が全く違うという事も。私が思う成功しているビジネスというのは、変わりゆく社会に対して柔軟性があり、常に進化しながら環境面、人道面にも責任を持ちつつ良い商品を作り、且つ常に利益を上げるビジネスモデルを言います。ジュエリー製作者としての私は技術面を磨いて、よりデザインの可能性も広げていきたいと思っています。そしてデザイナーとしては、自分のインスピレーションに忠実に、よりマテリアルと繋がれる様な表現をしていきたいと思っています。単純に利益の為だけに搾り出されたデザインアイデアからは真のクリエイティビティは存在しません。私のジュエリーはそもそも「売れる」という理由や「売れそう」なデザインによって作られたものではないのです。勿論安定した収入、利益を生むことは個人のジュエリービジネスとして正直かなり厳しい面もあります。しかし一方でそれがデザイナーとして努力する事の理由にはならないと私は考えています。何故なら利益だけに固執した視点からでは心を揺さぶられる様な特別なデザインは生まれないから。私がブランドを立ち上げた時、そしてその前からも確固としてあったブランドコンセプトがあります。それは人の手で作り上げられ、パーソナルなジュエリーである事。私が特にこだわるのが、自然の中で生み出される美しいと思うものに近づける事です。自然界では完璧に左右対称のものは無ければ、計算された様に予想できるパターンもありません。そして美しさと同時にある種の醜さも共存しているのが自然であると思っています。生(せい)のどの段階にも起こる美しさと醜さが完璧なバランスで存在しているのが自然の唯一無二の美しさだと私は考えています。その完璧なまでの不完全さをジュエリーのデザインに落とし込みたいと思って日々葛藤しながらジュエリー作りに励んでいます。恐らくそこが私のジュエリーをユニークにしている決定的な点だと思うのです。インテリアデザインの専門大学時代に学んだ3Dモデリングの技法を自分のジュエリーデザインに使用しないのはこの為です。このテクノロジーは疑いの余地無く素晴らしいと思いますが、3Dモデリングの力が発揮されるのは計算された一寸の狂いも無い完璧なデザインを求める場合であって、私のジュエリーデザインのアプローチには向いていないからです。
どのビジネスにおいても、自分のニッチを見つけるのは最も重要な事の一つだと思います。私はビジネスウーマンというよりはアーティストなので、ある意味それを見つけるのは比較的簡単であった様に思います。経営に生かすという意味では別ですが。。ヴィンテージパーツを使ったジュエリーを作っていた頃から薄々と感じていましたが、私のジュエリーを好んでくれる顧客の方々には手作りのものからしか感じられないユニークさや、そういった少し変わったものを愛でる審美眼が備わっている方が多いように思います。そうした中マーケティングの重要さを思い知らさせられたのは私のジュエリーがイギリス版VOGUE誌に1年以内に3度掲載された頃でした。マーケティングと広告はビジネスとして成功するのに不可欠な要素である事は理解はしていたものの、それまでの私には投資する様な余裕がありませんでした。今日の膨大な数のオンラインリテールの中から私のブランドを見つける事は暗闇で本を読む事と等しく困難です。パンデミック中は直接顧客やカスタマーと対面して販売が行えるイベント等の機会を全て失ってしまいました。個人事業としてこういったイベントは自分のブランドを知ってもらうのに特に重要だと思います。宣伝になるだけでなく、現在のマーケットや、カスタマーが求めるもの、貴重な意見、そしてブランドのターゲットを知るのに最も適した場でもあると考えています。しかしながらそういった場が無い場合、初回のカスタマーは完全に私のビジネスを信頼して購入するしかありません。そういった中でもVOGUEのような名高い雑誌に掲載された事はある程度の信頼を勝ち取るには大いに役立ったと思います。私の様にオンラインビジネスを主とする場合、ソーシャルメディア等は無料で使えるツールとして当然ながら活用しない手は無く、気軽にカスタマーとオープンでもプライベートでもコミュニケーションを取れる便利な場所である事に間違いは無いはずです。いずれにせよヴィジュアル面が最重要要素になるので必然的にプレゼンテーションに重きを置く事になる。その為、撮影や編集にも時間を割き、その都度アイデアを練る必要もあります。リテールや委託などが加わると更に細かく仕事内容を突き詰めていく必要があります。この時点で個人でジュエリーブランドを運営するというのがいかにマルチタスクと頭の切り替えを必要とする職業であるのかを少しでも理解して頂ければ幸いです。
日本で息子たちと
今日という日に至るまで、ふたりの子供を産んでからも、早4年前に日本に移住してからも変わらずジュエリーに対しての情熱は持ち続けています。成功というゴールへの近道は無く、私自身も未だ全然辿りつけていないのですが、自分の夢を諦めないという一心で、たとえ遠回りであっても着実に歩んでいくことで道は出来上がっていくのだと信じています。初めは迷いも勿論あったし、今に至っても母である自分と自分の夢の狭間で様々な葛藤が日常としてあります。しかしながら私は失敗する自分を許し、そこから学び、立ち直って自分のペースでバランスを取りながら一日一日を乗り越えています。失敗を失敗と理解し、何かを学んだのであれば私は自分の失敗や間違いを恥ずかしいとは微塵も思わない性格だから。勿論備えは必要ではあるけれど、失敗や間違いは時に避けられない事として起こります。感情的になりやすい私ではありますが、そういう時こそ冷静に、そして客観的に状況を見極めて判断し対応していく必要があると考えています。私はそういった状況から学んだ事が何よりも間違いの無いレッスンであると知っているからです。自分が何よりも恐れているのはチャレンジをせずに失敗も間違いも出来ない状況に陥る事にあるから。クリシェ(常套句)ではありますが、情熱を持ち、自分を信じる事が成功への鍵を持つと信じています。
 
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